日本「語」を取り戻す2013年07月22日 15:23

参院選も終わり、「日本を取り戻す」と叫んでいた政党の圧勝となりました。これから、みんなで力を合わせて日本を取り戻さなくっちゃ・・・。 アメリカから・・・?

選挙期間中にテレビなどの街頭インタビューで政治に何を求めるかと尋ねられた通行人が「景気を良くして欲しい」と答えるシーンをよく目にしました。とても守るべき数億円もの株式資産を持っていそうにはない市井の人達です。
本当に伝えたいのが、「俺の(ウチの父ちゃんの)給料を増やして欲しい」だったり、「年金を増やして欲しい」だったり、「株式の配当を増やして欲しい」と言う事であり、つまり煎じ詰めれば「もっとお金が欲しい」と言っているのであれば、私にも大変判り易く至極もっともな意見と思うのですが、何故、わざわざ回りくどく、しかも「景気」の事などを第三者的に表現するのでしょうか?
2002年2月~2007年10月の間は大企業は戦後最長の好景気に沸いたのですが、その間に庶民の可処分所得はむしろ大きく落ち込み、非正規雇用が労働者の1/3にもなり、貧富の格差が大きく広がりました。少し考えれば、昨今の景気と暮らしぶりに比例関係は無い、或いは反比例の関係さえあるのだなぁーと判りそうなものですが・・・。

実は、あの「景気を良くしてほしい」という言い方は経済政策うんぬんについて何か言っている訳ではなく、「世界人類が平和でありますように」などと同様、「暮らしやすい社会にして欲しい」事を当たり障り無く標語的に言っているに過ぎないのではないかと疑っています。
つまり「日本を取り戻す」同様に「結局は何も言っていない」と同義であるといった標語社会日本の悪弊のひとつの表れなのではないでしょうか?

昔、私がとある生協の物流センターに赴任して最初にやった事は、倉庫のそこかしこに貼られた、「注意!ドアの向こうに人がいる」だの「庫内温度計を指差し確認」だのといったくだらない標語の類を全部破り捨てる作業でした。

私の住む北九州の或る交差点に「良い子を守る横断歩道」と書かれた随分見栄えは立派だが、結局何を言っているのかさっぱり判らない点では「日本を取り戻す」と良い勝負の掲示板が立てられているのですが、こんなものにも税金が使われているのでしょう。

標語と言われるものには、とかく不都合の多い具体的な事物は隠して見せないようにしながら、ある種の予定調和の世界を押し付ける目的があるのだと考えています(もっとも大概は、本当にくだらない内容で、あるのは作者の自己満足のみと言う類ですが)。
これは、決して日本だけの事ではなく、ナチスドイツの時代、アウシュビッツをはじめとする強制収容所の入り口に「Arbeit Macht Frei (労働が自由を生む)」と大きな標語が掲げられていた事実は良く知られています。実際は自由を生むどころか労働を強いられたあげく殺されてしまう恐ろしい場所なのですが・・・。何れにせよ、標語がはびこるというのは二流国・三流国の証のように思えます。

言語は、相互理解(和解)の道具ですが、日本の標語社会が物事の定義を曖昧にし道具としての日本語を限りなく軽いものにしてしまう・・・日本人はディベート(討論)が下手だと良く言われる理由もここにあるのでしょうし、歴史認識が定まらない理由も同様です。

「日本を取り戻す」ほうは、責任者から良く訊いてみないと何の事だか判りませんが、「日本語を取り戻す」事、つまりは、厳密な言語使用を通して相互理解(和解)し得る日本人を造る事が切実な課題なのだと思います。