原発の輸出について2013年08月05日 16:17

3.11後、しばらくの間は、おとなしかった村民たちが、又、騒々しくなってきました。・・・勿論、原子力ムラの話です。村民たちを喜ばせ勢いづかせている現自民党政権の原発政策では、①再稼動を急ぐ ②原発を輸出する の2つが際立って目立ちます。一定量の高純度プルトニウムの備蓄といった高速増殖炉がらみの軍事的な思惑も引き続き注視する必要があります。

福島第一の事故原因の解明は進まず。又、同原発からは現在も1時間に1000万ベクレルの放射性粉塵が環境に撒き散らされ、1日に400トンの汚染水を海に垂れ流し続けており、(何れも東電発表値であり、本当の数値は・・・?)何時になったら収束するのか誰にも判らない有様です。汚染地域の除染は進まず、復興予算は被災者に無縁の事業に勝手に流用されてしまう。
更に、核のゴミを数万年にわたって安全に冷却するという最終処分の方法も、土地の選定以前に、技術的・経済的に成立し得るのか全く目処が立っていない状態です。

こんな有様で再稼動をうんぬんする学者や官僚、産業界トップの神経は、理解できないと言うより殆ど病的なのではないかと思われます。或いは、児戯のレベルの発想と疑うべきなのかも知れません。思い出すのは、かつて、民主党政権時代にスーパーコンピューターの予算を削られそうになった学者が、「予算を削減された場合に生ずる科学的な損失の責任を誰がとるのか」と玩具をねだる子供のように吠えていましたが、この学者は予算が削減されなかった場合に生ずる社会的損失に責任をとれるとでも思っているのでしょうか?

さて、かつて民主党政権時代の管直人が原発の輸出を成長戦略の一つとして謳った時は耳を疑いました。市川房枝さんが聞いたら、きっと怒髪天を衝く形相でこの不肖の弟子をなじった事でしょう。当然、自民党政権も大喜びでこの方針を踏襲する事になります。

ベトナムやトルコなどへの輸出が計画され、政府をあげて関連企業の後押しをしているようですが、契約内容の詳細は国民に知らされていません。

私が、特に心配しているのは、「使用済み核燃料(核のゴミ)は日本が引受けます」といった最終処分についての約束条項が契約書に盛り込まれようとしているのではないか、という点です。

大量の核兵器を保有するロシアは原発の輸出に際して、このような契約を交わしていると聞きますが、かの国の核兵器への転用を前提とした政策なのでしょうか。

日本では国内の原発から出る使用済み燃料の最終処分の目処も立たないのに原発輸出先から核のゴミが続々と帰ってくる・・・想像するだけでぞっとします。

原発輸出に加担する者達が市民の道義的・倫理的な意見に耳を傾けてくれる輩では無い事は重々承知していますが、最終的に国民が背負うリスクまで考えれば、経済的にも成り立ち難い事を知って欲しいと思います。

 ※つい最近も米国サンオノフレ原発に納入した蒸気発生器のトラブルで三菱重工が提訴
   されており、最終的には同原発の廃炉費用を負担させられる事になるだろうと言われ  
   ています。

日本「語」を取り戻す2013年07月22日 15:23

参院選も終わり、「日本を取り戻す」と叫んでいた政党の圧勝となりました。これから、みんなで力を合わせて日本を取り戻さなくっちゃ・・・。 アメリカから・・・?

選挙期間中にテレビなどの街頭インタビューで政治に何を求めるかと尋ねられた通行人が「景気を良くして欲しい」と答えるシーンをよく目にしました。とても守るべき数億円もの株式資産を持っていそうにはない市井の人達です。
本当に伝えたいのが、「俺の(ウチの父ちゃんの)給料を増やして欲しい」だったり、「年金を増やして欲しい」だったり、「株式の配当を増やして欲しい」と言う事であり、つまり煎じ詰めれば「もっとお金が欲しい」と言っているのであれば、私にも大変判り易く至極もっともな意見と思うのですが、何故、わざわざ回りくどく、しかも「景気」の事などを第三者的に表現するのでしょうか?
2002年2月~2007年10月の間は大企業は戦後最長の好景気に沸いたのですが、その間に庶民の可処分所得はむしろ大きく落ち込み、非正規雇用が労働者の1/3にもなり、貧富の格差が大きく広がりました。少し考えれば、昨今の景気と暮らしぶりに比例関係は無い、或いは反比例の関係さえあるのだなぁーと判りそうなものですが・・・。

実は、あの「景気を良くしてほしい」という言い方は経済政策うんぬんについて何か言っている訳ではなく、「世界人類が平和でありますように」などと同様、「暮らしやすい社会にして欲しい」事を当たり障り無く標語的に言っているに過ぎないのではないかと疑っています。
つまり「日本を取り戻す」同様に「結局は何も言っていない」と同義であるといった標語社会日本の悪弊のひとつの表れなのではないでしょうか?

昔、私がとある生協の物流センターに赴任して最初にやった事は、倉庫のそこかしこに貼られた、「注意!ドアの向こうに人がいる」だの「庫内温度計を指差し確認」だのといったくだらない標語の類を全部破り捨てる作業でした。

私の住む北九州の或る交差点に「良い子を守る横断歩道」と書かれた随分見栄えは立派だが、結局何を言っているのかさっぱり判らない点では「日本を取り戻す」と良い勝負の掲示板が立てられているのですが、こんなものにも税金が使われているのでしょう。

標語と言われるものには、とかく不都合の多い具体的な事物は隠して見せないようにしながら、ある種の予定調和の世界を押し付ける目的があるのだと考えています(もっとも大概は、本当にくだらない内容で、あるのは作者の自己満足のみと言う類ですが)。
これは、決して日本だけの事ではなく、ナチスドイツの時代、アウシュビッツをはじめとする強制収容所の入り口に「Arbeit Macht Frei (労働が自由を生む)」と大きな標語が掲げられていた事実は良く知られています。実際は自由を生むどころか労働を強いられたあげく殺されてしまう恐ろしい場所なのですが・・・。何れにせよ、標語がはびこるというのは二流国・三流国の証のように思えます。

言語は、相互理解(和解)の道具ですが、日本の標語社会が物事の定義を曖昧にし道具としての日本語を限りなく軽いものにしてしまう・・・日本人はディベート(討論)が下手だと良く言われる理由もここにあるのでしょうし、歴史認識が定まらない理由も同様です。

「日本を取り戻す」ほうは、責任者から良く訊いてみないと何の事だか判りませんが、「日本語を取り戻す」事、つまりは、厳密な言語使用を通して相互理解(和解)し得る日本人を造る事が切実な課題なのだと思います。

日本国の景気と私2013年06月26日 15:49

金さえあれば貧乏なんて怖くない--私が大好きなフランスの諺です。その日、散歩に出かけるズボンのポケットに千円札の1、2枚もあれば豊かな気分で闊歩できる・・・そんなラテン気質が大変好きです。私の経済観念は、凡そ、この辺りでしょうか。市場という漢字を、つい、「いちば」と読んでしまう世代です。然しながら、いささか勉強して新聞の一面にこの文字があれば、それは夕餉の卓上に並ぶ大根やら豆腐やらを売っている所とは無関係の世界の話である事位はちゃんと判っております。ただ、経済の語源が経世済民の略である事を思い起こすまでも無く、生活者たる私にとっては、新聞の一面に載る市場より「いちば」の方が大切だし親しいという事なのです。
この私に縁の無い方の市場は、昨秋来の自民党政策で「平成のええじゃないか」状態であるそうです。日経平均は殆ど倍になり、従って、座して財産が倍になった人が居る訳です。1980年代にもバブル景気と呼ばれるものを目の当たりにしました。この時は日本企業がアメリカの由緒ある大きなビルをビルごと買った、とか、世界中の名画を日本人が買い漁っている、とか、ゴッホを買った日本人資産家が「死んだら棺に入れて(一緒に燃して)欲しい」と言って世界のひんしゅくを買った、とか、いろいろ騒がしかったものです。この時のバブルは確か4~5年は続きましたが、残念ながら今回の「ええじゃないか」は既に一息ついてしまった様です。1980年代のバブル期には、それこそ「同じ阿呆なら踊らにゃ損、損」と上(大資産家・大企業)から下(庶民)まで狂っていた(特に上が狂っていた)記憶があります。然し、今、進行している現象は、私にはどうも経団連をはじめとする「上の狂い様」が希薄な気がしてなりません。何だか彼らが醒めた目で下々の狂乱ぶりを眺めているように感ずるのです。
何れにせよ、一連の騒ぎについて思うのは「金儲けするべき人々は既に儲かった」と言う事だと思います。これまでに金儲け出来なかった人々は金輪際金には縁が無いと悟るべきであり、あの方々が狂乱した祭りの後片付けにお金を払う側に立っている自身を覚悟すべきと思っています。
かく言う私も、株券などと言うものは手にした事は勿論、見た事すら無いので、つまり、後片付けにだけ参加する身なんだと思います。 円安で物価は上がり、増税、住宅ローン金利増、年金・・・。おかたづけ。おかたづけ。さぁーさ、みんなでおかたづけ。

でも、ズボンのポケットに千円札が1枚でも入っていれば、今日の私の散歩は幸せなのでした。